GAハンドブック2ページ目に思う事。その②
今日もありがとう。 本当に、検索に引っ掛からない。 閲覧数が、皆無。 どうすれば、 私の経験が、 言いたいことが、 伝えたいことが、 メッセージとして届くのか。 今、苦しんでいる人に、 皆が、 少しでも良い方向になれるように。 本当に、思い通りにはならない。 自分の感情と、他の人の感情は、一致しない。 一致してほしいことほど、一致しない。 それが、最近は理解し、分かるようになってきたから、 少しは、冷静になれるところもある。 賢く生きよう。 増やせるものは、増やし。 減らせるものは、減らす。 さて、今日は、 GAハンドブック2ページ目に思う事。その②を書きます。 GAハンドブック2ページ目の後半は、こう書いています。 私たちのほとんどは、自分が本物の強迫的ギャンブラーだとは認めたがらなかった。自分がまわりにいる人たちとは違うなどということを、よろこんで認める人間がいるわけはない。だから私たちが、ふつうの人のようにギャンブルができるかもしれないと、役にも立たない実験をしてきたからといって、驚くことはない。どうにかすれば、いつかはギャンブルを楽しむことができるようになるという大きな妄想が、強迫的ギャンブラーに取りついている。この妄想のしつこさには驚くことばかりである。この恐ろしい妄想を、たくさんの強迫的ギャンブラーは、懲役、狂気、あるいは死の門口にたつまで手放せないでいる。 ここも、大事なことばかり。 GAハンドブックは、大事なことばかり。 こうやって書いてると、それを何度も思い起こさせてくれる。 ギャンブル依存症の回復は、自分が強迫的ギャンブラーと認めるところから始まると思う。 全てを見つめ、受け入れ、認める。 まず、これができない人が多い感じを受ける。 GAに来ても、病院に行っても、完全に受け入れ、認めなければ、回復は始まらない。 回復が始まらなければ、ふつうの人のようにギャンブルができるようになるという妄想ばかりが続く。 いつの日かまたギャンブルが始まり、元に戻る。 本当のどん底を見ない限り、本当の意味でのギャンブル依存症を認めたことにならない。 私は、ギャンブル依存症です。とは、誰でも簡単に言える。 これだけでは、なんの意味もない。 私は、とんでもない底を見た。 私は、狂気の中、光を探して歩いた。 ギャンブル依存症と認め、専門クリニック、病院、GAと歩...